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NBAとアメリカンカルチャー中心のブログ

繰り返される不正義と許され続ける白人

どうも。NBAで書きたいことは一杯あるが、今回はそれよりもっと重要なアメリカの社会、司法制度の問題について議論したい。これまでもジョージ・フロイドの事件をきっかけに、アメリカ社会の白人至上主義について数回書いてきたが、またもアメリカを分断するかつ白人は何をしても許される構造が明らかになる判決が下された。何を話しているかというと、Kyle Rittenhouse (カイル・リッテンハウス) の無罪判決である。この僅か17歳の白人男は2人を殺害し、1人をケガさせたのに自己防衛として無罪となったわけである。拳を使ったわけでもなく、近くにあった器物を使ったわけではなく、AR-15を使っての自己防衛である。通常どんな状況で一般市民がAR-15を保持しているだろうか。それを考えただけでおかしな話なのに、銃保持の罪もなく、自己防衛として司法に守れたのである。ただただ怒りがこみ上げるが、正直驚きもしないのが悲しい現実である。何故なら彼が白人であるから。ただこれにつきる。彼が黒人だったら無罪になることなどありえない。それがアメリカの司法制度であり、未だに続く巨悪の根源を表している。(決してアメリカだけの問題ではなく、最もひどい国もあるし、日本の司法制度も十分やばいが)

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<何故全米の注目となったのか>

この裁判の経緯を改めて振り返ると、そもそもはウィスコンシン州のケノーシャで黒人のジェイコブ・ブレイクが白人の警察から銃撃を受けたことによる市民の暴動が発端である。これは昨年2020年にジョージ・フロイドの殺害をきっかけに全米で起こったBlack Lives Matterムーブメントの真っ只中で起きた事件であったことで大きな話題となった。ブレイク自身は運良く生存することができたが、無防備な状態で背後から4人の白人警官に7発打たれる映像は衝撃的なものであり、人々の大きな怒りを買ったと同時にジョージ・フロイドの件に続きまたかとなったのである。

 

昨年事件が起きた時もブログで書いたが、一番の問題は4人対1人の状況で、武器を保持していない一般人を7発も打つ必要がどこにあるのだろうかいうことである。4人もいればどんなことがあっても銃を使わずに取り押さえることは可能だろう。(そもそも武器の保持もしていなかったわけだが) 逆に銃を使わずに取り押さえられない時点で警察などやめた方がいい。ブレイクが何故7発も打たれたのかと考えると、それはどう捉えても相手が黒人であったからである。逆に白人であったらそもそも警察に囲まれることすらないだろう。atsukobe.hatenablog.com

 

この事件によってウィスコンシンに本拠地を置くミルウォーキー・バックスは第1シードながらプレイオフのファーストラウンドのオーランド・マジックとの第5戦をボイコットする事態となった。これ自体も大きなインパクトがあり、当時フロリダのバブルで実施していたNBAレイオフをこのまま継続する必要があるのかという議論になったぐらいである。

 

<事件の経緯>

ジョージ・フロイド、ブリアナ・テイラーなどを筆頭に何件も続いた白人警官による黒人への攻撃に人々は声を上げデモがはじまり、デモが過激化してケノーシャでは暴動化していた。その暴動に対して反発する人達で作られた(主に白人至上主義者) がFacebookでの呼びかけによって、一般市民による防衛隊もどきとなるものが出来上がる。彼らは普通のどこにでもいる市民なわけだが自ら武器を持っていて、抗議者に対抗するというものであった。そこに参加したのが今回の登場人物のカイル・リッテンハウスである。ケノーシャ市長は公にはこの防衛隊に反対したが、白人だらけのウィスコンシンの警官が彼らに感謝の意を示して、水を渡していたと伝えられている。

 

リッテンハウスはウィスコンシンではなく隣のイリノイ州に住んでおり、かつ僅か17歳の年齢でわざわざ乗り込んできたわけである。州をまたいでわざわざ防衛隊に参加していること自体で動機満点だが、自己防衛のためにAR-15を持ってくるような人間はまともじゃない。人を殺しにやってきたようなものである。そんな彼や市民軍もどきの人達に対して、そこにいた白人中心の警官達は何も言わずにむしろ行動を促したわけである。これをWhite Privilageと言わずになんと言うだろう。(もしリッテンハウスが黒人だったらどうなるだろうか。問答無用に逮捕、最悪射殺されるだろう)

 

そして彼はプロテストに参加していた3人を銃撃し、そのうち2人を殺害した。もちろん暴動が起きていた為、カオスな状況だったわけで、彼が自らの危険を感じた可能性は否定できない。だからといって3人にも銃弾打つことがどうして正当化されるのだろうか。そもそも自分からわざわざ暴動の鎮静の為という目的 (本当はBLMへの反対だろう)で来ているのだから、事態を落ち着かせようとしたということであれば納得がいくが、悪化させた張本人なわけである。

 

そして3人殺した後に彼は得意げに警察の前を通ったにも関わらず、何もお咎めなく一旦家まで帰れちゃったのである。これこそがダブルスタンダードなわけである。黒人が3人を銃撃して警察の前に歩いてきたら、確実に銃を置いて立ち止まるように囲まれる、もしくは多くの場合その場で射殺されるだろう。彼がこれをできたのは警察も白人ばかりで白人至上主義のトランプ支持者が多かったことに他ならない。この待遇の違いもWhite Priviliageの表れであり、白人である限りどんな暴力を働いてもすぐに逮捕されない構造がアメリカ社会の闇を表している。この点は1/6のトランプ支持者によるアメリカ議会襲撃に似ている。

atsukobe.hatenablog.com

 

<裁判の不当性>

そして裁判にうつると、裁判官のリッテンハウスへの明らかな贔屓な態度が話題になった。彼は携帯の着信音にトランプのテーマである曲を入れていたり、殺害された3人は犠牲者じゃないと発言したり、明らかにリッテンハウスよりの思考を持っていたわけである。何故この裁判官が選ばれたのか疑問だらけだが、初めからフェアではなかったのは確かであろう。

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裁判中もおそらく弁護チームが彼の正当防衛感を高める為の作戦であろうが、リッテンハウスが大きな声で泣き出したら裁判官が休憩を与えたりしていた。これがウソ泣きかどうかというのもTwitterでは大きな議論になり、レブロンもコメントしていた。個人的にこれはどう考えても陪審員の印象を良くしようという演技であろうと思う。

 

これも、もし黒人が同じように泣き出した時に白人の裁判官が似たような同情を見せることは想像づらい。こうして最初から最後まで弁護側に傾いた白人色が強い裁判で、リッテンハウスの無罪が決まったわけである。白人であれば人を殺しても罪に問われない、黒人と同じスタンダートでは裁かれないというメッセージを世界中に見せつける結果となった。最も悲しいのはまあそうだろうなという半ば諦めのような反応が多かったことである。

 

<分断される社会に光はあるのか>

この事件は改めてアメリカ社会の分断を象徴するものであった。BLM運動を支持する者はリッテンハウスが極悪人だと言い、BLMに反対するトランプ支持層 (保守派ではなくもう右翼である) は彼をヒーローと呼ぶ。真実はその間で、彼は極悪ではないが特権を持った白人至上主義の正義ぶった犯罪者であろう。少なくとも彼はヒーローとはほど遠い。彼は何かの危険から人を救っただろうか。彼が銃を使わなかったらおそらく当日誰も死ななかっただろう。また、彼が黒人だったら右翼は極悪犯罪者と呼ぶだろう。犯罪者をヒーローとして扱うナンセンスな話をニュースチャンネルであるはずのFox Newsが広めるのだから保守派が過激化するに決まっている。Fox Newsのアナウンサーのタッカー・カールソンはリッテンハウスをヒーローとして描き裁判の行方を追うドキュメンタリーを作成したぐらいである。中立性の欠片もない。  (ワクチンが右対左の政治問題になるのだから仕方ないのかもだが) 

 

左サイドはそれはそれで批判だけして建設的な話ができていないのも問題である。いかにこの悪の根を撲滅していくかということをもっと真剣に考えて、現実的かつ実効できる解決策を見つけていかなければいけない。

 

結局のところ、BLMで大きなモメンタムができた変革への動きは非常に遅いペースで進んでおり、腐った社会構造は今まで通りなわけである。更に社会がこれまで以上に分断されていくにつれて、裁判官や警官という秩序をもたらすべき存在が偏った思想を持つようになってしまう。これは将来に向けた大きな課題であり、どちらのサイドが何かしらの中間地点を見つけるようにしなければ悲劇は終わらない。今回の判決は驚きもしなかったが、昨年の世界中のうったえにより社会が変わるという兆候が見えていたからこそ、逆に背筋が凍るものであった。